溺愛パンデミック

奇跡が消えないように 僕等が生きた証を ここに記そう

死んだ祖父に会いたい

こんばんは、牛乳です。

いま病院のベッドの上でゴロンゴロンしています。暇です。我々は賢いのでこんな事は想定済みだと思って本を持ってきていたのですが、点滴の針も痛いし手術の傷も痛いしで読書に集中など出来ませんでした。気を紛らわせるためにブログを書きます。どうでもいい話です。

 

私が生まれた時には祖父はいませんでした。父方の祖父は既に死に、母方の祖父は母が幼い頃に離婚して祖父の地元に帰ったからです(ちなみに数年前に亡くなったとの事)。だから私は祖父がどういうものか知りません。でもずっと、別に興味はなく生きてきました。

ここ数年、両親と酒の席を共にすることが増えたのですが、そんな時に必ずこんな話になります。

「自分の父親の方がクズだった選手権」

お互いがお互いの父親のクズさをdisり合って爆笑しています。きっと酒の席だからもあるし、私がある程度大人になったから聞くことができるようになったのでしょう。それを何度も聞いているうちに私は祖父に会いたいと思うようになりました。特に父方。

私の実家は離島ですが、本土まで船に乗らなければならず、当時知り合いを見送りに船の中まで一緒に乗った祖父。家族全員、港で待っているにも関わらず出航しても降りてこず、2日後の朝に折り返しで帰ってきた。救いようがないアホ。

女の家に行った所を何度嫁に見られても懲りず、借金まみれのくせに何故か人に奢りまくり、一攫千金を狙って海に出るも帰港直前で船をひっくり返し大損害を負う。正真正銘のアホがうちの祖父。

なんか山のように話があったのに今思い出せるのがこれだけで悔しいですが、まあそれはさておき金にも女にも節操がなく、その割には外面だけ良い大変テキトーな人間だったようで、葬式の際には誰も泣かずに居たところ1人だけ大泣きしてる方が居て、「誰?」「知らん」「愛人じゃん?」「ああ」というクソみたいな会話が家族内で行われたらしい。で、その女誰…。

祖父の33回忌の時、親戚のおじさんが「大変ユーモアに溢れた素敵な人」、知り合いのお坊さんが「いつも笑っていて、面白くて素敵な人」と語っていて首を傾げたのも束の間、うちの父が「どれだけ外面が良かったか実感しました」と言ったので笑い転げました。クソじゃん。

 

そんなうちの祖父、今なら会って話がしてみたいと、とても思う。2人だけで一緒に酒が飲んでみたい。学生の頃ならば「んなもんサボれ!」とでも言われかねないだろうなと思うし、どんなに辛いことがあっても持ち前のテキトーさで笑い飛ばして「じぃちゃんについて来い!」ぐらい言ってくれたんじゃないのかなとも思ってしまう。生まれた時から居なかったので、生きてるうちに…のような後悔は無いのですが、とても何故か寂しい気持ちになります。

母方の祖父もクズだと母が笑いながら言っていましたが、離婚してからも何度か会っていたようでその度に無視をしていたことを今日後悔していました。一昨年になって、祖父がその後再婚し新たな家族が出来たことを知りました。その子供たちから、相続の件で連絡が来たからです。祖父が亡くなって3年経った時のことでした。こっちはもっと早く動いてれば一緒に飲めたかも。今更いっても仕方ないですね。因みにその新しい家族の皆さんはとても素敵な方たちらしく(母親談)、会わせろとしつこく迫っている所です。

 

もしも死んだ人と会えることが出来るなら、私は祖父を選ぶかもしれない。いや、死んだら会えるのかな。その時は酒を飲みながら、厳しかったであろう祖母の愚痴も聞いてあげて「でもおじいちゃん達がいたから私が生まれたんだよ~!」と声高に自慢したいであります。いつか私もそっちに行くことになると思うので、その日まで話題をきめておいてください。

 

P.S.両親へ

「娘も息子も真面目になったのはあのクズの父親のおかげねってパパと話すのよ」と笑いながらお母さんは言いますね。確かにうちの両親はとても厳格で真面目です。だから、あれですね。隔世遺伝。あなたの娘はクズ寄りですが、恥になるような事はしてないし胸張って幸せに生きてますのでそれだけは安心してください。