溺愛パンデミック

奇跡が消えないように 僕等が生きた証を ここに記そう

私が「小瀧担」じゃなくて「望ギャ」という理由

こんにちは、牛乳です。

ヲタクというものはどのジャンルでも似たようなものですが国によって言葉が違うように、ヲタ用語というものも違いますよね。けれど意味合いもちょっと違うって、感じたことありませんか?例えば、LOVEという英語を日本語に訳すとき。単純に愛だけれど、それが友愛なのか恋愛なのかそれは文章の中から読み取らなければならない。ヲタ用語も同じく少しニュアンスの違うものであることを感じたので適当にだらだらと書き綴りますけど
あの、個人差は必ず存在します。
これはあくまで私の意見であり、もしそうじゃない方がいらしても「そう言う考え方があるんだ」ぐらいに留めておいて、どこのジャンルも大変ね…ぐらいに思って頂ければ。ええ。

書くかどうかもすっごく迷ったんですけど、なんか気持ちの収まりが悪くて。
気分を害された方がいらっしゃったら申し訳ないです。頑張ってちゃんと誤解無く、言葉にできたらいいなあと思います。私の語彙力では怪しい限りですが…。


ジャニヲタになってから、自己紹介の時以外で「小瀧担です」というのがあまり好きではありません。それは私が担当という言葉にとっても違和感を覚えているから。だからよく、ジャニヲタ以外の人に誰が好きなの?と聞かれると「私の推しはこの子です。」と写真を見せたりします。担当とは言えないのです。ジャニヲタさんとの会話だとついつい楽で使っちゃうんですけど。

推しの意味は読んで字の如く推薦。この子を皆様に推薦できると私は考えています」という意味が込められている。一方担当という言葉はその人を応援する担当なんですよ」という意味。このニュアンスの違いが分かるでしょうか。「推し」「担当」、同じものを指すように見えて、意味の重さがこんなにも違う。私には、まだ担当を名乗れません。

ジャニヲタさんの「担当」という言葉はすごく重い。私の感覚だけで言えば、例えるなら「結婚」に等しい。実際に婚姻したわけでもましてや向こうは覚えてないかも知れなくてもファンからの支えの力がすごい。彼らと共に歩み、彼らの仕事を支え、彼らに寄り添う。それが私が見るジャニヲタさんでした。上手く言葉にできないんですが、ジャニヲタさんは伴侶であるからそれなりに責任も伴うというか。いつどこでお見かけしたブログか分からないんですが、
「その人がドラマの主演が決まった時にそれを観なきゃいけない、だって担当だから」
「写真や雑誌が出たら買わなきゃいけない、だって担当だから」
というような記述があって、ああ確かにそうだなと思ったんですよね。まあツアー全通だとか、写真や雑誌やグッズを大量に買うだとか極端な話ではなくて精神論として、時に優しく時に厳しく愛を持って彼らを正しい道へと導くし、自担がやることであれば結局何が在っても世界で最後の一人になろうと味方で居て応援してあげなければ”いけない”みたいな。ここまで来ると、というよりまるでのような感覚。でもそれは仕方ないんです、だってそれは彼らの人気に繋がり、仕事に繋がり、延いては彼らの生活に関わることだから。

けれど私のいた世界ってそんな一途な想いはなかった。バンギャルの場合は個人名を取って後ろにギャを付けるのが担当の類義語かと思われます。私で言えばAYABIEのインテツギャ。この場合のインテツへの想いは「結婚」なんかじゃない。軽くて軽くて、本当に言葉を選ばずに言うなら「セフレ」みたいなものです。遊ばれて捨てられてもそれでも構わない、あ、いや比喩的な表現で。インテツの為にやったことはそりゃたくさんあります。毎回手紙とお菓子の差し入れだってしてたし、ツアーだって行きたいところは行って会えるだけ会ってそれなりに好きだったんですけど、指摘のようなことをした記憶は一切ありません。私が彼にしていたことは、ただちやほやすること。そりゃあ愛はあるので、裏では散々言ってましたよ、けれど目の前にしてしまえば、筆を執ってしまえば、猫を被ってただ彼を褒めるのです。責任感?ないないそんなのだって彼らを養うのは繋がってる女(特に貢ぎ)の仕事でしょ?そう、ファンの少ないこの世界、私がどんなに頑張ってCDを買った所でアーティスト印税は1%、テレビに出てるわけでもないし、雑誌なんて出るのも稀だし、そんなんじゃごはんなんて食べていけないので、ならばお互い干渉なく気持ちのいいところだけ共有する。

そんなわけで、私にはそんな重い責任を持って誰かを応援したことはありませんでした。だからもうほんと…びっくり(語彙力)。所謂「担降りブログ」も読むことがあるのですが、皆さん沢山葛藤して散々悩んで罪悪感まで感じて降りられた方の方が圧倒的に多く、それは恐らくそれほどの責任を負って応援してきたからだと思うのです。

じゃあ私が小瀧くんの担当になれるのかというと、うーん、正直な所やはり無理ですね。そんな重たい定義じゃない、ただの固有名詞なのかも知れなくて気にしなくていい事なのかもしれないんですが、私は小瀧くんに寄り添い支えて彼の力になりたいとは思いません。ただ彼が笑ってくれていてお仕事を頑張っているのをCDやDVDで見届けつつ、遠くから干渉せずに好きでいれたらそれで良くて、愛を持って正しい世界へと導いてあげるのは他の小瀧担さんにお願いしたい気持ち。もう今まで生きてきた根本がそれだからとしか言えないんですけれども、私は「小瀧担」ではなく「望ギャ」なのです。

ああ、うーん…これ伝わるのかなあ。笑

人のブログを読むのは好きです。その人の人生が気になるから。
人の話を聞くのも好きです。その人が歩んできた人生は、どんなものか知れるから。
そして自分との違いも考えます。
「私だったらこうしてたかもしれない」「私はこう思うけどこの人は違うのか」
それは決して否定的な訳では無く、人の考え方が千差万別で私と似ていても全く同じじゃないことが楽しいからです。

だからこれは、あくまで個人的な考えきっとこれを読んでいる貴方とは違うし、似ているかもしれないし、だからなんだってわけじゃないんだけれど、どうか私が小瀧担じゃなくても小瀧くんの事を好きだという事は、信じてほしい。いや、認めてほしい?疑ってる人も認めてない人もいないと思うしそもそもみんな私が「小瀧担」と名乗ろうが「望ギャ」と名乗ろうがどうでもいいとは思うんですけども!(必死)

結構Twitterとか話題ついていけてないしね。多分そういう所だよね…「本気で好きじゃないでしょ?」なんて思わないでね…好きなんだよマジで…

LOVEを何と訳すのか。日本語って難しい。



長々と支離滅裂にすみませんでした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。