溺愛パンデミック

奇跡が消えないように 僕等が生きた証を ここに記そう

深田恭子の顔で生まれた時点で勝ち組なんだよ(小瀧くんが好きだって話)

こんにちは、牛乳です。

 
昨夜、テレビを適当につけて諸々の作業をしていました。時折覗くツイッターで「ダメ恋」という単語をよく見かけていたので何かなあと思っていたらTBSの新ドラマ「ダメな私に恋してください」の事でした。恋愛ドラマはほとんど見ない私ですが、下妻物語の時から深田恭子は大好きだし特に見たいものもないのでつけたまま作業をしていたら、開始30分ぐらいで白目をむいていました。
 
まず、深田恭子の見た目に生まれてる時点で勝ち組だから。
確かにきゅんとするシーンも多々あって羨ましい微笑ましい気持ちもある。
けれど一番気になったところ、「こっちに戻ってこれてよかったね(ニュアンス)」という台詞。
 
私は、これは言われる。よく言われてるよ。
類友なのか私の仲の良い友人たちは「ヲタク」が多い。だから楽しい。
けれどそのコミュニティから一歩外へ出てしまえば、まるで珍獣のような扱いをされることがある。本当によくある。何故かは知らない。
親には「中高生じゃないなんだから」と言われ、
合コンでは「こっちの世界に戻ってきなよ」と言われ、
意識高い系の友人には「何が楽しいの?」とまで言われる。
 
私にしてみれば、
母の編み物や裁縫だってヲタクみたいな凝り性だし、
父親は間違いなくクラシックヲタクで私は完全に血を引いている。
合コン相手には「お前らに気を使って生きるより一人で良いから自由に生きたい」が本音だし、
意識高い系には「何を楽しみに生きてるの?自己啓発本?」と問いたい。
 
どうも彼らの中で「ヲタク」の地位って低すぎない?
何がいけないのかわからない、よく小馬鹿にされるけど全く持ってわからない。
私が小瀧くんを好きでいる気持ちを書いても、彼らはくだらないと言うのだろうか。
 
私が好きになった小瀧くんは泣いていたなあ、と最近よく考える。
最初は冗談ぽっく。それからだんだんと抑えが利かなくなって、目だけじゃなく顔まで真っ赤にして眉毛は八の字に下がって、眉間にしわを寄せて苦しそうに泣いていた。それが私が「小瀧望」を認識した最初の記憶。
 
「こんなにも純粋な人がいるもんだ。」私の感想はそんなとこ。
 
私は幼い頃から、人を思って泣いた事が殆どない。自分に関して泣く事ならよくあった。思い通りに行かなくて拗ねて泣いたこと、失恋して泣いた事、物理的に膝の靭帯が断裂して痛すぎて泣いた事。そんなありきたりで自分本位の出来事で泣くことはあっても、例えば中学の時担任の先生が転勤したってクラスの女子で私だけ泣かなかったし、先輩方が卒業したって泣いた事無かった。祖母の葬式で謎のスピーチをさせられたときだって冷めていた。祖母の事は大好きだけど、それとこれとは別である。MORSEだって結局1回も涙なんて出てこなかったし、初めて目にしたジャニーズWESTですら泣いてない。バンドの解散で泣いた理由は「このバンドの曲が聴けなくなるのは嫌だ」なので結局自分本位。0だとは言わないが、本当に人の為に泣いた事が無い。冷たい人間です。
 
だから泣き虫な小瀧くんが羨ましい。
後輩からのお手紙に、苦しくなるぐらい泣いちゃう小瀧くんが好きだ。
自分が役に立てなかったって泣いちゃう照史くんを見て、慰めながら自分ももらい泣きしちゃう小瀧くんが好きだ。
大阪マラソンを走っているメンバーを見てるだけで泣いちゃう小瀧くんが好きだ。
 
そんな泣き虫な彼を知れば知るほど、「私とは程遠い人だ。」と思った。
 
愛されるために生まれてきた人だ。
メンバーにも、ファンにも、なにより家族にも。
私だって家族なり友達なりたくさんの愛情をもらってきたのに、外的環境なのかDNAなのかはたまた運命の悪戯なのかわからないけれどこんなにも違う。
だからこそ惹かれたんだろうなと思う。
 
小瀧望を好きになったきっかけは、彼のその心だ。
誰かを心から想える彼のその純粋さが好きだ。
そんな彼の事を好きであることを、「ジャニヲタ」の一言で片づけられることは嫌いだ。
そんな単純に、好き嫌いを決められるほど子供じゃない。
 
何かを好きでいられることは、素晴らしい感情だと思ってる。
それが生きていても生きていなくても物でも人でも見えなくても何だっていいから、「好き」だと言えるその力は絶大だと思っている。
昔と違って音楽のジャンルやアーティストだけでもこんなにも「選択の自由」があるのに、「これだけが正しい」なんてあるはずない。
 
残念ながら私の脳みそでは、若手俳優が好きでテニミュに何度も通うのと、ミュージカルが好きで劇団四季に何度も通うのとの違いはわからない。
でも一般的に前者は変わっていて、後者は普通だと思われる。
 
言っておきたい、向こう側が生業の人間なんて山ほどいるんだぞ、と。大人たちが本気になって作るから、子供たちの心を掴めるんだと思うし、大人たちが本気になって好きだと思うから、子供たちが本気になって夢を見る。
 
深田恭子の見た目だったら、ヲタクでも「意外!でもギャップがあっていいね!」の一言で片づけれれていたのだろうか。
全部偏見だけど、多分あんなに可愛かったらお笑い芸人とすぐ合コン出来るし、バンドマンなんか秒速で繋がれるし(これは確実だった)、ジャニーズでファンサなんかもらいまくりだし、ロリィタ着てても「痛い」どころか「かわいい」しか言われないだろうし、彼氏なんかいなくたって人生謳歌してるよ。
 
でも彼女は劇中で言った。「楽しくないわけじゃない、不幸じゃないのに、生きてるだけで辛い(ニュアンス)。」
…多分思うんだけど、一般人の言う「こっちの世界」に戻ってこない方が、彼女幸せじゃなかった?ちょっと前の私がそうだった。好きな物が消えてなくなって曖昧として、毎日が楽しくないわけじゃない、お友達とご飯に行くのもお洋服買うのも映画見に行くのも楽しくなかったわけじゃないしチョコレート食べてるだけで「しあわせ!」って叫んでたけど生きてるのがつらかった。それはふとした瞬間、例えば友達と騒いでたのに家に帰る道すがら一人になる瞬間とか、夜ご飯を食べ終わって携帯を見てもツイッター以外に開くページも無ければ呟く事も好きなタレントの呟きも無いときとか、「何を楽しみに生きてるの?」って思ってしまう。私みたいな人間は「こっちの世界」に連れ戻された瞬間、虚無感で覆われて空っぽになる。
 
バンギャだった時は毎日インテツの話をしていた。インテツの好きな食べ物とか好きな音楽とか「あ、いまスタジオなんだ~♡早くインテツの新曲聴きたい!」とかもうインテツの話ばっかりしていたくせにそれがなくなったから「どうしたの?最近元気ないね。」と言われるようになった。「体は元気でも心が全然元気じゃねえんだよ!」なんてヲタクじゃない人に言っても通じないのは今まで生きてきた2X年間で死ぬほど経験してきたから言わない。
 
確かに結婚って幸せだよね、できるなら私もしたいなって思うよ。親に孫の顔は見せてあげたいとも思うからね。結婚して子供ができて、在り来たりでいいからそんな人生楽しいと思うけど、そこに「ヲタク」な趣味が共存してちゃダメですか?
 
あのドラマの一言により、私の今まで抑えていた想いが溢れ出してしまい候。
そんな深い意味はなかったのかもしれないけど、もう書きたいだけバーッて書きなぐったので誤字脱字等、お許しください。
 
やっぱ人生、顔か!?顔なのか!?
それでも絶対世界中で誰より笑顔が多い人生過ごすって決めてて、それは「向こう側」に行かないと得られないものしかないので、私は深田恭子になれなくてもいいから たった1人になっても「向こう側」に居続けるよ。
 
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。