私、バンギャル上がるってよ。
この時学んだはずだったのになあ。後悔先に立たずって。
前のバンドの始動から…いや、その前からずっと一緒に居たメンバーでリズム隊のパートナーだった彼がいなくなる実感は正直まだ無く、この文章を書いてる今もなんとも言えない感情が生まれてます。それでも人生の大半を共に過ごし、同じ夢に向かって歩んできた仲間である事に変わりは無いから、彼の新しい一歩を後押ししてあげたい。これからはお互いに違う道を歩んで行く事になるけど、皆も応援してあげてな。
バンギャ的にはあるよね、リズム隊の謎の絆みたいな感覚。 たしか、小学校からの同級生でしたっけ。実家の場所も知ってるんでしたっけ。イベントで訳の分からない地元トークで2人で嬉しそうに笑い合ってましたっけ。そんな2人の間にあった絆みたいなものを、私はうまく感じ取れてたのだろうか、今となっては怪しい。
隼人さんが脱退してから、シングルのインストアイベントがあって。もともと行く予定だったからどんな顔していいのかわからなかったんだけど。すごい楽しかった。顔が疲れるぐらい笑った。よしさんをはじめとしてメンバーは「最後までネタにします」みたいな勢いで、脱退したの忘れるぐらい話題にした。だから大丈夫だと思ってたんだけど。
年末年始の、最後のアルバムのリリースイベント。日程が合わない、めんどくさい、って一度も行かなかった。本当は泣くのが怖かった。だって、一歩ずつ終わりに近づくんだもん。WESTの京セラは、年始のコンサートは泣いてもあんなに楽しかったのにね。プレイヤーからサトルさんの声が流れる度、しゅん、ってした。聴きたくなくなるぐらい、悲しかった。だから結局、アルバムは当日に買うことにした。もうほんと、どれだけ弱いんだ私。
ライブなんてまだ先、まだ来年。って思ってたのになあ。あっという間に当日になったよ。ほんと行く気にならなかった。やる気なかった。正直「解散ライブ」って初めてなんですよね。AYABIEはもうなんか事実上みたいな感じだし。この2つ以外にちゃんと通ってるバンドとかないから。だから実感わかなかったのかもしれないね。
コインロッカー混んでるの見て、「荷物少ないし持ち込むか」ってコートも脱がずに入った。「ガラガラだったらどうする?」とか言いながら入ったら、めっちゃ人いた。JILLED RAY活休の時よりいたと思う。嬉しかった。もーう、それは嬉しかった。
6年前はさ、最前5人も居なかったんだよ。なんなら2列目無かった池袋Cyberの対バンとか超覚えてるよ。私はずっと後ろで見てる人だったけど。ほんとそれこそナイスピクニックwの会場ばっかで。それがこんなにたくさんの人が咲いてて、声出して、一緒にヘドバンしてて、その光景観てるだけで涙止まんなくて、一瞬でも逃したくなくてずっと前向いてた。ずっとステージ見てた。綺麗に揃うお客さんとメンバーのヘドバン、ほんとに最高だった。
1曲1曲に、沢山思い出があるの。いや正直思い入れない曲もたまにあるけど、でも作り出す曲が大好きで、これ、もう生で聴けないのかあって思ったら本当にしんどくて。
「きっと私、貴方じゃなきゃダメなの」って歌詞があって、貴方でメンバーを指さして、ダメなのでハート作る振り有るんですけど、その時にはもう息出来てなかった。本当に、このバンドじゃなきゃダメだもん。サトルさん「きっと俺もお前じゃなきゃダメなの!!」って客席指しながら歌ったなあ。泣いた。わんわん泣いた。てかもうサトルさん歌い方が本当にすごかった。うまく歌おうとかじゃなくて勢いぶつけてる感じだった。それが余計に心にキタ。
最初の頃は曲数少なくて、いつもMariaとVoiceやってたね、対バンしかなかったし。謎の5秒だけの無料配布と7秒だけの無料配布ねだりましたね。プラチャ主催の対バンで出口によしさんとサトルさんがいてお話してくれたこともあったなあ。あの頃はまだスタッフさんが居なくて、物販にみんな出てきて手売してて、転換中においでおいでされて良く話しましたね。ポイントカードとか作ってましたね。見事にたまってないけど、未だに大切に持ってます。
会場でしか買えなかったCDが、ライカとか自主盤とかで買えるようになって。そのうちインストアイベントしてくれるようになって。リトハのインストでじゃんけん大会で勝ってしまって当時のギターの人のピック当てた事、何故か握手の順番最後ですごい間があって申し訳なかったのにたくさん話してくれたことも覚えてる。
初めてのワンマンは高田馬場areaで、それこそナイスピクニックだったけどw その時ミキ様連れて行ったんだよなあ。私、赤いロリータ着てさ。姫と3人で後ろで思いっきり咲いて暴れて、楽しかったなあ。3柵なのに。
何故か2ndワンマンの記憶が行ったはずなのに定かではない。あれ、Cyberにみんな連れて行ったのってワンマンだっけ?3rdは覚えてるの、新宿ルイード、雨の日で、アンコールでNANA歌ってサトルさんが綾波レイ着てて、チェキ撮って、傘忘れて。あの日、傘忘れてゴールデン街前で困ってた私たちに傘をくれたバーのマスターと、先日再会して飲みに行きました。そんな思い出もあるよ。
あれからギターが居なくなってRayさんになって、うわあなんかイケメン入ってきたって思って。私もちょうど社会人になったばかりでなかなかライブに行けなくて。久しぶりに友達に誘われていった対バンがREXだった。もはやホームと言えそう。渋谷REX。
友達も私も目当てのバンドが終わったから、帰ろうと地上に出たら盤車あって、JILLED RAYので。知らんふりして帰ろうとしたら友達に背中押されて、声かけたら「おお!久しぶりやなあ!!」って笑ってくれて。たった1分の会話だけどほんと嬉しかった。
ぶっちゃけ、この6年、私の中でJILLED RAY(グラムヘイズ)はいちばんじゃなかったよ。最初はAYABIEがいたし、その後はアニヲタやったし、今はジャニーズがあるもん。でもそんな中で、絶対的に好きだと思って通えてたのはこのバンドだった。この飽き性の私が、飽きることなく、定期的にCDを買って曲を聴いてたまにだけどライブに行ってたのは、間違いなくこのバンドだけだった。それは絶対に、この人たちが作り出す楽曲のおかげなの。メンバーが変わってもぶれなかった楽曲センスのおかげなの。
初めて試聴版を聞いたときの衝撃は忘れない。「あ、このバンド売れるわ」って思った。歌詞もメロディーも歌唱力も、絶対にどこにも負けないって、思った。あれから今まで、たまに「おいおいまじかよ」って思うことあったけど(笑)、でもやっぱ未だに「売れる」って思うよ。
でも昨日ね、最後のあいさつでね。Rayさんが言った言葉があって。「このバンドは、結構見えない所で損をしてきてるバンドで、」って、何か分かる気がした。もちろん事の詳細は本人たちしか知らないんだけど、何となく、もっとここがうまく言ったら確実に売れてるのになってポイントが、今までいくつもあるの。歯車が合わないとでもいうか。メンバー同士じゃなくて、バンドと何かの歯車が。歌がうまくて、曲がかっこいいだけじゃダメなんて、私は納得できないけど。実力だけじゃどうにもならない世界なのかもしれないって思ったら悔しい。本当に悔しい。
財布の中に30円しかなくてしんどかったこともあったのに、思い出せばすごい楽しかったって言ってくれたねるくん。多分急に放り込まれて(?)戸惑う事もあったのに、すげえ頑張ったよねってメンバーみんなに褒められて。ほんといい子なんだな~って。
出来るだけ長く続ける方法を探したのに、って言ったRayさん。今だって解散なんてしたくないって。
2人共ね、急に入ったり前のギターが居たりしたから、いろいろ言われたと思うし、傷ついてたと思うの。なんなら私、よしギャの前は前のギターのギャだったし。何回か「何で入れたんだろうな~」「違う人だな~」って思った。それは認める。でも、変わってるようで変わってなかったよ、本質的なもんは。それはきっと努力でもあるだろうし、素質でもあるだろうし。「JILLD RAYの頃は、俺サトルさんのレベルに全くついていけなくってさ。それに一矢報いてやろうと思って頑張ってきたけど…ちょっとは成長できたかな」って言ってた。私はみんな大好きだ。前のギターとかも含めて全員大好きだ。
よしさん、思い出話からだから長かっry…「サトルに引っ張られて、隼人と車に布団積んで。上京して早数年。いけるんちゃうかなって思ってたよ」って、最後声が震えるの。いちばん付き合いの長いこの3人の思い出って相当なものだと思う。「ギターが変わりましたけど…」「某Yさんw」「そう、某Yさんねw LINEブロックされてるんでちょっと元気にしてんのか知らないですけども」その情報知りたくなかったわ~wwwwwwwwwwwww元推しだわ~wwwwwwwwwwww
サトルさんがさ、「楽しかったなあ…楽しかったなあ?」って、泣きながら大きな声で言ったの。よしさんが「たのしかったよ、ありがと」って返したの。終わりが見えて来て涙止まんなかった。これ書いてても泣いてます。私も楽しかった。最高に楽しかった。「フロントマンとして、みんなをもっと大きい景色に連れて行けなかったことが悔しい」、その背中にどれだけの物を背負ってきたんだろう。
そしたらね、サトルさんがね「でもグラムヘイズとして、やり残したことがあります。隼人、その気があったらもう一回5人でステージ立たへんか?」って、関係者の方に向かって言って。ねえ。隼人さん来てたんだね。
最初からずっとベースのアンプは置いてあった。ベースソロの時、照明がアンプに当たったし、メンバーみんな指差すし、サトルさんが隼人さんのベース持ってきて弾くし、まるでほんとに5人でステージに立ってるみたいだったのに。
メンバーはアンプに向かって「隼人…そんな姿になっちゃって…」とか、セッティングしに来たスタッフさん(おじさん)に向かって「隼人老けたな?」とか言って笑ってたんだけど、私泣き崩れそうだった。ステージにちゃんと5人いる。ちゃんと。1人すっぴんですけど(やめろ)。
最後の曲は「それでもボクらはいまを生きる」で、最後の歌詞が、「おはよう おやすみ また明日」なんだけど、「また、いつか」って歌った。いつかこの先、5人が音楽を続けていた上でタイミングが合ったなら。また戻ってくるからって言った。それが実現するのならば、私はその時バンギャに戻ろうと思う。
終わったはずなのに、サトルさんがみんなに耳打ちして、結局最後「泣き虫レディ」もやったの。これほんとにいい曲なの。みんなに絶対聴いて欲しいの。もっと世の中に知られていいと思うの。
「生き続けて戦う意味 その意味を教えてくれた」「泣きたくなったのなら僕が笑わせてあげる」「一人ぼっちじゃない僕がずっと傍に居るんだ」
私に生きる意味を教えてくれたのは間違いなくビジュアル系バンドです。中学3年生の時、あの時聴いていなければ、東京でライブに行くなんて思いつきもしなかった。出逢えてなかった。
初めてAYABIEのライブに連れて行ってくれた姫、本当にありがとう。都内で沢山ライブもインストも行ったね。姫が人見知りしないおかげで沢山友達も出来たね。ライブ以外にもたくさん遊びに行ったね。一緒にJILLED RAYも行ってくれてありがとう。
ミキ様、大学の時から、一緒にバンギャやってくれてありがとう。ワンマンも着いて来てくれたし、一緒にヘアメも行ったね。カメレオの始動とか行ったね。大学の近くで麺見つけて騒いでたね。JILLED RAYもグラムヘイズも気に入って一緒に通ってくれてありがとう。
私はあんな状態でAYABIEが居なくなったから、未だに彩冷えるは聴けてもAYABIEの曲が聴けなくて。今日の朝、どれを聴こうか迷って、結局グラムヘイズにした。サトルさんが「バンドは無くなっても、みんなの中で俺たちの音楽は生き続けるから」って言ったの。だから、泣いてもしんどくても聴くことにした。案の定、今日の朝も通勤中ずっと泣いてて知らないおばさんに心配された。花粉症ですって嘘ついといた。
私に音楽の楽しさを教えてくれてありがとう。生のライブの楽しさを教えてくれてありがとう。たくさんの幸せな音と時間をありがとう。何かを追いかける楽しさとか、趣味の楽しさとか教えてくれて、本当に本当にありがとう。絶対に死なせない。私の中で生かし続ける。いつか来るその日まで。
この先もう、新しいバンドを好きになる事は無いと思うので、これにて一度、私のバンギャル人生を終了します。だから、サトルさん、はやとさん、Rayさん、ねるくん、よしさんのこの先の活動を応援できなくてごめんなさい。けど、またいつかを信じて。
5人のこの先の未来が輝かしいものとなりますよう、心からお祈りします。