彩冷える感謝祭’18 でバンギャに戻って
お久しぶりです、牛乳です。
久しぶりにブログを書きます、気付いたら1年以上も放置していました。WEST特急を書く書く詐欺をしていて(あんな事になり)、仕事やら何やらで日常が手一杯になってしまい、気付いたら趣味と呼べるものが手薄どころか皆無になりかけていました。が。
【彩冷える感謝祭'18-DAY1,DAY2-開催決定!!】
— 彩冷える公式 (@AyabieOfficial) 2018年2月9日
昨年はたくさんのリツイートをありがとうございました!
皆様の声にお応えして、5月7日(月),8日(火)に感謝祭を開催させていただきます。
また一緒に素敵な思い出を作りましょう!
皆様のご来場を心よりお待ちしております。https://t.co/jSf5ZNoAGn pic.twitter.com/vtWGLTGHkJ
このツイートだけは見逃せなかった。
あ、因みに彩冷えるライブの感想と見せかけて自分の感情整理が殆どです。読まれる方はご注意くださいまし。
以前のブログにて私はバンギャを上がる宣言をしました。理由は好きなバンドが全て解散と活休してしまったからです。結構泣きながらバンギャを上がり、いつか私がバンギャに戻る時が来るならば、と言っていたくせにその日は案外あっさり来てしまいました。もしかしたらバンギャは辞められない呪いかもしれません。
ゴールデンウィーク明けの2日間、当時一緒にAYABIEに通っていた友人は誰ひとりとして参加出来そうにありませんでした。彩冷えるから8年、AYABIEから4、5年?当時は学生だった私もすっかり社会人で、当時の友達も勿論社会人で。子供が生まれていたり、環境も大いに変わって、私のようなシフト制の仕事じゃない限りは参加は難しかったと思います。
とりあえず1人でもいいやと取ったチケットは、無駄に良番で。実感の湧かないまま当日を迎えてしまいました。
1日目には少し早めに渋谷に行きました、大学の友人とランチをする為に。電車の中でもソワソワして吐きそうでした。大学時代バンギャ友達として遊んでくれていた友人が「牛乳がそんな風になってるの珍しいね」と言いました。そうなの、珍しいの、そうなの。ジャニーズWESTのコンサートに初参戦した時以来なの。
1人でライブに行くなんて初めてじゃありません。何度だって経験した。彩冷えるだって過去2回の復活を見てるんだし、こんなに緊張するものでもないのに。ご飯の時も落ち着かないし噎せるし、何度も時計を確認してため息ついて。傘を忘れた私は友人ふたりにSHIBUYA O-EAST(いまはTSUTAYAですね…慣れない…)まで傘に入れてもらい見送ってもらいました。
それでも平気だったんです、番号が呼ばれるまでは。
番号が呼ばれて並び始めたら震えが止まらなくなりました。チケットを持つ手がカタカタと震え始めるのです。心の中では正直「なんで?どして?」状態で、訳の分からないままで。
無事に入場して私が一目散に向かったのは下手の最前柵でした。そう、いちばん前の列。また震えた。入れてしまった。
かつての彩冷える復活時は2列目でした。なんならAYABIEのライブはいつでも殆ど1柵目でした。最前だったこともあるのに。震えが収まらなくて隣のお姉さんが話しかけてくれたのにコミュ障が覚醒したのか上手く話せずご迷惑をおかけして、開演までカタカタ震えながら立ったり座ったりして。落ち着かないの。笑える。
そして照明が落ちてSEが鳴る。カーテンが開いてライブが始まった時に、なんと、私は泣き出したのです。
泣いてた。気付いたら涙が溢れるように出てきた。ステージをスタスタと歩いてきたインテツを見ながら引くぐらい泣いてた。心の中の冷静なワタシは、それを不思議に思いながら。
だって、泣くかね?これ初めてじゃないんだよ?去年も見てるし5年前にも見てる。去年も5年前もずっと笑顔で見てた。この距離が初めてなわけでもない。もっと言うと私そんなことですぐ泣く感受性も持ってない。隣のお姉さんも泣いていたけれどそれはその人なりの理由があるからで、私は泣かないと思っていた。泣くこと自体想像もしてなかった。1番の驚きは自分に裏切られたことでした。
1曲目のTheMeを、泣きながら聴きました。必死に手を動かしながら。涙を拭いながら。来たくても来れなかった相方がいちばん好きな曲だと思いながら。
開場前も開場後も、ひとりぼっちの私は周りの声に耳を傾けていました(ごめんなさい)。みんなまるで同窓会みたいな雰囲気で、振りの確認をしたり、このツアーでこんな事あったよねとか、この時誰々ちゃんはさぁ、みたいな話に花を咲かせていて、きっと私はその思い出の渦に上手く巻き込まれてしまったのかもしれません。
あれから8年、皆様はどんな時間を過ごしたのでしょう。それぞれみんな大人になって、例えば私の友人が子供が生まれたように、時間をかけて変わってきた何かを持っているはずです。その中で、ずっと変わらずバンギャだった人はどれぐらい居るのだろうか?と。
私だってバンギャじゃないです。この数年でジャニヲタになりました。膝を悪くして暴れづらくなりました(暴れないとは言わない)。きっと私のように趣味のカテゴリーが変わってしまった人や、人生の分岐が訪れた人が、今この瞬間にあの頃に戻って同じステージに立つ5人を見つめている事の奇跡と感動。どうしてAREAの周年で気づけなかったんだろう?って。
でもきっとそれは、全員が「彩冷える」を見に来ているからなのですね。イベントではなく、彩冷えるを見るためだけに集まったから。
そんな奇跡が起きている事に、きっと私は泣いたんでしょうね。たぶん。
それから数曲して、折角引っ込んだ涙がまた溢れたのはインテツの挨拶でした。ずっとずっと見たかった、ベースを持ったインテツの言葉。
「ファンの方に言われたんですけど。僕がベースを置くと決めて、その置く日、最後の日に。ファンの方に『もうベースは弾かないんですか?』と聞かれて、『また5人でステージに立つことがあれば弾きます』って答えてたみたいで。それ、本当に…本心で。あれから彩冷えるの曲を長いこと聴けなくて。なんか、5人とみんなで作り上げてきたものが壊れてしまいそうで。」
涙声で話すインテツが、きっと言葉を選んで本心で伝えてくれていたから。彩冷えるがどれだけの宝物なのか、私はわかっているようで分かってないのかもしれないけれど、また涙が止まらなくて。
あおちゃんは何度も言いました。「みんなにこの8年、ごめんねばっかり伝えてしまった。」と。バンギャ界隈では彩冷えるのいざこざは有名な話というかもはや伝説なわけで、それに関してはもう本人達もファンもネタにしているんだけど、「でも、ああやって個々にやることが出来たからこそ、今ここでステージに5人で立ててるんじゃないかなって思って。あの時そのまま続いてたら、今は解散してこんなことなかったかもしれない」って言ったあおちゃんの言葉に私はすごく同意します。
2日目の後半にインテツはずっと泣きそうな顔をしていました。それを見ていたら私も泣けてきてしまったのですが、electric moon lightであおちゃんが歌いながら泣きだして、終わった後に早足でステージから捌けたときには涙が止まりませんでした。
突然の雨であなたの目を曇らせ泣き疲れて眠る夜をいつか与えてしまうかもしれない。それでも「明日はきっと今日よりも素敵」魔法の言葉を繰り返して七色の虹をかけよう
この曲の歌詞はここだけではなく全てがこの8年の状況に当てはまるような気すらしてしまうほど。彩冷えるは七色の虹だと、メンバーはよく言います。5人の5色と、スタッフの1色、そしてファンの1色。虹がまさにこの2日間で掛かったのですね。
2日目のWアンコールでやった君の声と約束についても最初の挨拶でインテツが話していて。
「みんなシャーロック・ホームズって知ってる?あの曲はね、シャーロック・ホームズの本を読んでできたの。あの頃僕は曲を作ったことがなくてどうしようって思ってたんだけど、シャーロックの緋色の研究で『1000の事件を知っていれば1001個目の事件は解ける』って台詞があって、『あ、僕もiPodに1000個の曲が入ってるから1001個目の曲が作れるかも!』って思ったんだけど、当時はキー調整とか知らないから…(笑) でもね、あの時僕が作れたら彩冷えるは続くんだって思って、作れる!って言って作ったんだよ。」
泣いた。本当に泣いた。この話だけでも泣いたのに、実際聴いて泣いて、最後のサビ前ファンが歌うところで、ステージの上の証明が当たってないインテツが腕を顔の前に置いて堪えきれず泣いているのを見たらもう止まらなかった。
そもそも1日目で泣ききったと思ってたからDaydream始まりで泣くと思わなかったしもう水分全部抜けちゃうよ死んじゃう。
ありがとう、出逢えてよかった。彩冷えるに出逢えて本当によかった。インテツを好きになって本当に本当に良かった。8年の月日があってからのレベルの上がった彩冷えるをこの目で見れて本当に幸せでした。
1日目に「みんな8年経った彩冷えるってどうせ全員おじさんなんでしょ?って思ってるでしょ~?あのねぇ、当時を超える自信ないとココには立てないから!!!」って言ったあおちゃんの言葉通り、最高のステージを2日間見ることが出来ました。毎回インテツだけロックオン状態だけど今回は全員ちゃんと見たよ、夢みたいでした。
「明日から、僕達5人はまたそれぞれの日常に戻ります。またバラバラになっちゃうけど、でもね、この道はもう交わらないことはないから。また必ず会おうね。」
あおちゃんの、きっとまたみんなの前に帰ってくる時が来るからという言葉を信じて、次こそは相方と姫と一緒にその景色を見たいです。
きっと私の心は上がってもいつまでもバンギャなのでしょう。またその日まで、おやすみなさい私。